http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news010.html
宮崎駿は作家であり、僕は作家でなかった――富野由悠季氏、アニメを語る
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news010_2.html
「その子にとって大切なことを本気で話してやれば、その時は難しい言葉遣いでも、子どもはいつかその大人の言った言葉を思い出してくれる」
「子どもに向かって嘘をつくな。作家の全身全霊をかけろ」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news010_3.html
「アニメや漫画が好きなだけで現場に入ってきた人々の作る作品というのは、どうしてもステレオタイプになる」
ステレオタイプ=刻板印象
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0907/08/news035_3.html
質問の答えにはならないのですが、今アニメーションという媒体に関しては危険な領域に入っていると思います。
どういうことかと言うと、個人ワークの作品が輩出し始めていて、スタジオワークをないがしろにする傾向が今の若い世代に見えているということです。
スタジオワーク、本来集団で作るべき映画的な作業というものをないがしろにされている作品が将来的に良い方向に向かうとは思っていません。
デジタルワーク、つまりCGワークに偏りすぎることによって、昔、映画の世界であったスタジオワークというものが喪失し始めている。
そのため、豊かな映像作品の文化を構築するようになるとは必ずしも思えないという部分があります。
ハリウッドの大作映画と言われているものがこの数年、年々つまらなくなっているのは便利すぎる映像技術があるからです。
韓国、中国、香港、台湾のように映像開発の後発国は、いきなりデジタルを手にして映像創作の領域に踏み込んできたわけですから、彼らは今面白くて面白くてしょうがない。
しかし、彼らは本来的な意味での映像の機能についての癖を正確に認知しているとは思えない。
ただそれに関して言うと、日本もそうですし、ハリウッドの人たちもデジタルの危険性というものをあまり認識していないように見えます。
